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長湯温泉の湯は四十度を超えても大量の炭酸ガスを抱えている。地下深部の高い圧力が温度上昇によるガスの散逸を抑えているためである。減圧された湯船に注がれた瞬間にガスが気泡へと変わる。

泉質・見た目

炭酸泉に浸した腕に細かな気泡が付いている様子

大分県竹田市の長湯温泉には、40℃を超えながら1キログラムあたり1,000ミリグラムを超える遊離二酸化炭素を含む源泉がある。化学の原則に従えば、水温が上がれば気体は水の中に溶けきれなくなり、空気中へと逃げていく。一般的な大気圧のもとでは、水に溶け込める二酸化炭素の量は水温が上がるほど減り、20℃の水と40℃の水では半分近くまで開きが出る。それならば、地下から湧き出る温水は、地表に近づく過程で熱せられてすっかりガスを失っているはずである。

しかし現実の源泉は、その常識に反するように大量の炭酸ガスを抱えたまま地上に現れる。温められた液体から気体が揮発するという原則と、実際の温泉が示す高濃度の間には、一見すると矛盾するように思える隔たりが存在する。湯船に浸かると肌に細かな気泡がびっしりと付き、ぬるめの湯であっても身体の芯から温まってくる。この現象の背景には、大気に晒された地上とはまったく異なる地下の環境が深く関わっている。

地下深くで発生した二酸化炭素が水に溶け込んだまま地表へ到達するには、圧力の存在を避けて通れない。日本有数の炭酸泉として知られる大分県の長湯温泉や山形県の各地では、火山活動や地殻の割れ目を通じて、地下深部から高濃度の二酸化炭素ガスが絶えず供給されている。水に溶ける気体の量は、その気体の圧力に比例する。1803年にイギリスの化学者ウィリアム・ヘンリーが示したこの関係の通り、高い圧力がかかるほど、水はより多くの気体を溶かし込む。

地下数十メートルから数百メートルの深部では、上から重なる地層や地下水の重みによって強烈な静水圧がかかっている。たとえば地下100メートルの場所では、地表の約10倍にあたる10気圧以上の圧力が水にかかる。この状態にあれば、水温が40℃や50℃に達していても、気体は水から分離できず、高濃度のまま液体の中に閉じ込められる。

地下の割れ目を通って上昇する温泉水は、周囲の岩石から圧力を受け続けながら地表を目指す。この高圧状態に保たれた地下水脈が、動力による急激な減圧を受けずに自噴するとき、ガスは水に溶け込んだ状態を維持したまま上がってくる。地下の密閉された高圧空間が、温度上昇によるガスの散逸を抑え込む役割を果たしているのだ。

地下の密閉された高圧空間を出た温泉水は、湯船という1気圧の開放された空間に放り出された瞬間に大きな変化を受ける。環境省の鉱泉分析法指針が定める二酸化炭素泉(炭酸泉)の基準である1,000mg/kgという値は、地表の1気圧のもとでは水が抱え切れる限界に近いか、それを超えた過飽和の状態にある。

圧力が急激に低下した水の中では、溶け込んでいた二酸化炭素が液体にとどまる理由を失い、一斉に気体になろうとする。これが、温泉水が湯船に注がれたときに細かな泡となって姿を現す理由である。しかし、すべての二酸化炭素が一瞬で空気中へ消えるわけではない。水分子と二酸化炭素の結びつきが解けて気泡の核が生まれ、それが目に見える泡へと成長するまでには一定の時間を要する。

ただし、すべての炭酸泉が湯船で激しく泡立つわけではない。長湯温泉の施設などで観察されるように、湯の温度が40℃を超えて高くなると、気体の溶解度が低いため、わずかな刺激でもガスは空気中へ逃げやすくなる。肌に付着する細かな気泡は、その湯が1気圧の下で限界に近いガスを保持しており、かつ皮膚の表面にある微細な凹凸や産毛をきっかけにして気体へと姿を変えたものだ。

同じ炭酸泉であっても、湧出する土地の温度や仕組みによって、湯の表情は大きく異なる。ドイツのバードナウハイムをはじめとするヨーロッパ各地の療養地では、古くから冷たい炭酸泉が医療目的に活用されてきた。これらの地域では源泉温度が20℃から30℃前後の低温であることが多く、水中にガスが安定して留まりやすいため、肌への泡付きも非常に明瞭に現れる。

一方、火山活動が活発な日本では、高温泉と炭酸ガスが地下で出会う条件が整っている。温度が低い冷鉱泉であれば、二酸化炭素をより多く溶かしたままでいられる。山形県米沢市の広河原では、35.1℃のぬるい湯が炭酸ガスの圧力に押し上げられて噴き上がる間欠泉が知られている。

これに対して、長湯温泉のように40℃を超える温度でありながら炭酸を保持している地域では、大量の湧出量と絶え間ない自噴の勢いが重要な要素となる。地下から地表までの移動時間が短ければ、温度が高くてもガスが途中で分離しきる前に湯船へと到達できる。各地の温泉を比較すると、温度、圧力、そして湧出の速度という三つの条件が揃って初めて、温かい炭酸泉が成立していることが分かる。

実際に湯船の前に立つと、湯の扱われ方がそのままガスの残存量を左右していることに気づく。動力ポンプを使って勢いよく湯を汲み上げたり、配管の途中で落差をつけて激しくかき回したりすると、二酸化炭素は湯船に届く前に一気に抜けてしまう。気泡として抜けてしまったガスは再び水に溶けることはなく、分析書の数値が高くても湯船での泡付きは見られなくなる。

そのため、炭酸泉を引く宿や共同浴場では、源泉をパイプから静かに導き、空気に触れる面積や落差を最小限にして湯船へ注ぎ込んでいる。配管の長さを極力短くし、途中に継ぎ手を増やさず、浴槽の底面や低い位置から静かに湯を注ぐ工夫を重ねる。

湯口の周辺でわずかに気泡が立ち上り、湯面に静かに広がる様子は、地下の圧力を失ってからどれだけ刺激を与えずに湯船へ運ばれたかを示している。湯船の底から湧き出る足元湧出の湯や、湯口を水面下に沈めた構造の浴槽では、湯に手を入れた瞬間に細かな気泡が腕を包み込む。湯船で見える気泡の現れ方は、源泉から浴槽に至るまでの湯の通り道そのものを映し出している。

温泉の分析書に並ぶ二酸化炭素の数値と、目の前の湯船で起きている現象の間には、地下と地上の環境差が形づくる明確な物理の連鎖がある。温めれば逃げるはずのガスがなぜ湯に留まり、なぜ肌に細かな泡を付けるのかという疑問の答えは、地下深部の静水圧と地表の1気圧との落差、そしてそこから湯船へと至る時間の短さにある。

高温であっても豊富な湧出量によって素早く地上へ運ばれた湯は、減圧された湯船の中で限界を迎え、皮膚の凹凸を足がかりにして気体へと戻っていく。肌を覆う無数の泡は、単なる手触りの心地よさだけではなく、その温泉が地下数百メートルの高圧空間からどんな経路をたどり、どれだけの速さで運ばれてきたかの記録でもある。大分県竹田市の長湯温泉をはじめとする湯船で目にする微小な泡は、地下の圧力と水温の境界線上で保たれた、絶妙なバランスの結果としてそこに現れている。

ゆーたなかお

温泉天国 - Onsen Paradise 運営

旅と食と温泉好き。どこにでもいます。

SOURCES

  1. 長湯温泉 - Wikipedia本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
  2. 御前湯本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
  3. j-hss.org本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
  4. 温泉の科学5-5-3本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
  5. 「温泉徹底分析」本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
  6. 温泉の定義 [温泉の保護と利用]本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
  7. hanashobu.com本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
  8. 炭酸泉とは? - 癒しの温泉 水春本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
  9. 二酸化炭素泉 | のらりとひなびた温泉へ本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)