MAGAZINE / 17 · JAPAN
なぜ日本人はこんなに温泉が好きなのか
日本列島では地下深くから膨大な量の湯が湧き出している。昭和二十三年の法制度や掘削技術の普及が、宿泊施設や共同浴場の湯船を満たす独自の利用環境を整えた。各国の熱水利用とは異なる道として、温泉は旅の目的地や日常の休養の場として定着した。

毎分248万リットルの湯が湧き、その大半は湯船へ注がれている
環境省の温泉利用状況によれば、2024年度の日本の源泉総数は2万7899本、総湧出量は毎分およそ248万リットルに達する。国土の面積に対してこれほどの密度で地下水が熱を帯びて噴き出す地域は、世界を見渡しても極めて珍しい。日本列島を取り巻くプレートの沈み込み帯と火山の連なり、活断層の多さ、そして年間千五百ミリメートルから二千ミリメートル前後に及ぶ豊富な降水量が、この地下水循環の土台にある。降った雨や雪が長い年月をかけて地下深くへ浸透し、地熱で温められ、鉱物成分を溶かし込みながら再び地表を目指す。
この膨大な湧出量の大部分は、宿泊施設と地域ごとの共同浴場での入浴に使われてきた。温泉を使う宿は全国に1万3425軒あり、湯はまず湯船を満たすために配管されている。湧く量そのものだけでなく、それをどんな目的で社会の中に組み込んできたかという制度の積み重ねが、日本の温泉地の風景を作っている。
昭和二十三年の温泉法は、どのように利用の形を定めたのか
近代以降の日本において、湯の管理と利用の枠組みを決定づけたのは、昭和二十三年(1948年)に公布された温泉法である。終戦直後の混乱期、無秩序な開発を防ぎ、地下資源としての温泉を保護するために制定されたこの法律は、第二条において温泉の定義を明確に定めた。地中から湧出する温水、鉱水、水蒸気およびその他のガスのうち、湧出時の温度が摂氏二十五度以上であるか、あるいは定められた十九種類の遊離炭酸やリチウムイオンなどの特定物質が規定値以上含まれているものを、温泉と認めた。
この定義によって、温度が低くても成分基準を満たせば「冷鉱泉」として温泉の扱いを受ける道が開かれた。同時に、単なる地下水と法的な温泉との境界線が明確に引かれることになった。
さらに温泉法第三条では、土地を掘削して温泉を湧出させようとする者に対し、都道府県知事の許可を受けることを義務付けた。許可制の導入は、無制限な掘削による周辺源泉の枯渇や温度低下を防ぐためのブレーキとして機能した。これにより、湯を引く権利や源泉の所在が法的に保護され、各地の事業者が安定して旅館や公衆浴場を営むための基盤が整えられた。
法律の条文は、湧き出る湯を単なる土地所有者の自由な私的財産から、行政の監督下にある公共的な資源へと位置づけ直した。この制度設計が、全国の温泉地において宿泊業や公衆浴場業を中心とした利用のルールを固定化していく起点となった。
アイスランドのパイプラインと、日本の旅館が示す利用の差
同じように活発な火山帯の上にありながら、日本とはまったく違う形で熱水を使ってきたのが北欧のアイスランドだ。大西洋中央海嶺の裂け目に位置するアイスランドでは、地下の熱源と高温水は主として都市を維持するためのエネルギー基盤として開発されてきた。二十世紀前半から始まった地熱利用の技術開発は、首都レイキャヴィークをはじめとする都市部において、地下から汲み上げた熱水を長距離の断熱パイプラインで各家庭へ送る地域熱供給システムへと結実した。
アイスランドでは、地熱発電所で発電を終えた温水もそのまま捨てられることはない。配管を経由して住宅や公共施設の暖房や給湯の九割以上をまかない、さらに温度が下がった排水は道路の下に通されて冬場の凍結を防ぐ融雪設備や、寒冷地での農業を支える温室栽培へと段階的に再利用される。カスケード利用と呼ばれるこの徹底したエネルギー循環が、同国の社会インフラを支えている。
一方、日本の温泉地では、高温の地下水を長距離輸送して都市全体の暖房や給湯を広域にまかなうシステムは主流にならなかった。別府のように湯煙が立ち上る大規模な温泉地であっても、熱水は各旅館の湯船へ注がれ、あるいは飲泉所や家庭ごとの引き湯として消費される形が基本となった。同じ火山性の地熱資源でありながら、一方は都市の寒さを克服するための暖房ネットワークを築き、もう一方は湯治の宿泊拠点や観光地の湯船を満たす道を選んだ。
ドイツは保険で湯を処方し、日本は湯を旅の目的地にした
ヨーロッパの温泉地に目を向けると、ドイツやフランスなどの国々では、温泉水を用いた医療と療養の制度が公的な社会保障の中に組み込まれている。ドイツでは「クアオルト」と呼ばれる保養地が法律に基づいて厳格に指定され、気候や温泉成分の基準を満たした場所でのみ療養施設の運営が認められている。医師の処方箋に基づいて滞在する患者のクア(治療・休養プログラム)には、公的健康保険が適用される仕組みが整えられてきた。
フランスにおいても「テルマリズム」と呼ばれる温泉療法が医療行為の一部として位置づけられ、リウマチや呼吸器疾患などの治療目的で医師の診断を受けた場合、一定の給付基準のもとで保険償還が行われる。これらの国々の施設では、広々とした湯船に浸かることだけが目的ではない。専門医の指導のもとで定められた量の温泉水を飲む飲泉療法や、細かな蒸気や霧を吸入するミスト吸入、専任の理学療法士による水中運動など、細分化された医療プログラムが体系化されている。
これに対して日本の温泉文化は、古くからの農閑期における湯治の伝統を受け継ぎつつも、明治以降の近代化の過程で主として観光、保養、そして日常の疲労回復の場として発展した。温泉入浴そのものが公的健康保険の給付対象として全国的に制度化されることはなく、温泉地は旅館街や歓楽街を伴う旅行の目的地としての性格を強めていった。医療費の枠組みで管理される治療の現場となった地域と、個人の自由な余暇や入浴習慣として引き継がれてきた地域とでは、建物の構造から湯の使い方に至るまで異なる方向へと進むことになった。
ボーリング技術の普及は、各地の源泉数と湧出量をどう変えたのか
日本の温泉利用の規模を飛躍的に拡大させた要因として、掘削技術の近代化と動力ポンプの普及がある。江戸時代までの国内の温泉は、自然に地表へ湧き出す自噴泉の周辺に浴槽を設けるか、浅い井戸から湯を汲み出す方法が主流であった。湧出する場所が限られていたため、湯宿の数も自ずと自然の湧出量によって制限されていた。
この状況を一変させたのが、明治時代以降に進められた鉄管による井戸掘り技術の導入と、大正から昭和にかけて全国へ広がった機械式ボーリング技術である。地下数百メートルから千メートルを超える深部まで掘り進めることが可能になり、それまで地表に現れていなかった深層の熱水層へ直接届くようになる。
さらに、昭和中期以降に水中モーターポンプなどの揚湯技術が定着すると、自噴する圧力を持たない温泉水であっても安定して大量に汲み上げることが可能になった。この技術革新により、山間部の奥地だけでなく、海岸沿いや平野部の都市部においても温泉が開削され、全国の源泉数は急速に増加していった。
一方で、動力による汲み上げの増加は、周辺の源泉の水位低下や泉温の降下、源泉同士の干渉といった新たな課題を生み出した。湯船に届く湯の量が増えたことで大規模な旅館の経営が可能になったと同時に、各施設は湯の温度や衛生状態を維持するため、熱交換器による冷却や適温を保つための調整といった日々の管理を求められるようになった。
数字の示す資源の出口は、社会の制度によってどう分かれたか
環境省のデータに記録された2万7899本の源泉と、毎分248万リットルの湧出量は、日本列島の地下にある熱と水の規模を示している。しかし、その温水がどのような配管を通り、どのような設備を満たしているのかという出口の形は、地質そのものが決めたのではない。
ある国では厳しい気候を生き抜くための暖房パイプラインとして地下水を巡らせ、ある国では病気の治療と社会保障の制度の中に湯を組み込んだ。そして日本では、昭和二十三年の温泉法による定義と掘削規制のもと、ボーリング技術と動力汲み上げを駆使しながら、宿泊施設や共同浴場の湯船を満たす用途へ湯を集約させてきた。
湯口から湯船へと注がれ、縁からあふれ出していく温水の一筋一筋には、地下深くのマグマがもたらす熱エネルギーとともに、近代以降の日本が選択してきた法制度と生活習慣の歴史が重なっている。
ゆーたなかお
温泉天国 - Onsen Paradise 運営旅と食と温泉好き。どこにでもいます。
SOURCES
- beppu.biz本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 温泉法:別府温泉事典|別府温泉地球博物館 Beppu Onsen Geo-Museum本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 温泉の定義 [温泉の保護と利用]本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 温泉について - 埼玉県本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- e-Gov 法令検索本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 自然エネルギー大国の展望「地熱発電から、さらにその先へ」(アイスランド):地熱を知る・学ぶ | JOGMEC JOURNAL 独立行政法人エネルギー・金属鉱物資本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 地球の熱を、エネルギーに。「火と氷の国」アイスランドの試み - 世界の省エネ/マイ大阪ガス本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- ドイツの医療事情⑥ クアって何?ドイツの療養文化 › Beruf本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- テルマリズム | フランスのビヤンネートル | 日仏ビヤンネートル協会 – Institut du Bien-être本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- オーソモレキュラー医学会|記事ページ本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- RIETI - Go To ヘルスツーリズム―エビデンスを生かした湯治のすすめ本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 源泉数日本一の別府温泉と、湧出量日本一の草津温泉では、どちらが多くの温... - Yahoo!知恵袋本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)