MAGAZINE / 03 · HISTORY
温泉の歴史
飛鳥時代、皇族たちは神聖な儀礼として西日本の名湯に長期滞在した。戦国期には武将が傷兵を癒す療養地として湯を囲い込んだ。江戸時代に医学の視点から湯治が広がり、温泉は日本人の生活技術となった。

飛鳥の文官が書き残した『日本書紀』の記録から湯の源流をたどる
西暦631年の秋、舒明天皇は摂津国の有間温湯へと向かった。当時の記録によれば、その逗留は実に86日間という長きに及んでいる。国家の首長が長期間にわたって都を離れ、山間の湯に身を浸した。この事実は、当時の人々にとって湯が単なる水場ではなく、特別な意味を持つ場所であったことを示している。舒明天皇はのちに伊予国の温湯、すなわち現在の愛媛県の道後温泉にも足を延ばし、そこでも数カ月にわたる滞在を記録に残した。
飛鳥時代から奈良時代にかけて編纂された史書や風土記には、有馬や道後、そして牟婁の湯と呼ばれた和歌山県の白浜温泉といった西日本の名湯に、天皇や皇族が赴いた足跡が幾度も記されている。斉明天皇や中大兄皇子もまた、政情の不安や身内の不幸が重なる時期に牟婁の湯へ行幸した。文字に記録された最初の温泉利用は、観光ではなく、極めて政治的かつ神聖な儀礼の側面を強く持っていた。湯の湧く土地には神が宿ると信じられ、人々はそこに頭を垂れて病の平癒や身の清めを求めた。
天皇の長期逗留から戦国武将の傷兵救護へと変わっていった歴史の針
国家の行幸地として選ばれた温泉は、時代が下るにつれて利用者の階層と目的を広げていく。平安時代末期から鎌倉時代に入ると、幕府が開かれた東国でも熱海や伊香保、草津といった湯が文献に現れ始め、武士や高僧たちが往来するようになった。京都の貴族社会の手を離れた温泉は、各地の武士団が支配する領地の中で、実用的な資源として認識され始めたのである。
さらに戦国時代を迎えると、温泉の役割は負傷者の治療という実利的な側面を帯びるようになる。甲信越地方を治めた武田信玄は、領内の各地にいわゆる隠し湯を整備し、合戦で傷ついた兵士たちを送り込んで療養させた。山梨県の下部温泉や長野県の湯田中温泉などには、信玄の将兵が刀傷や骨折を癒やしたという伝承が今も色濃く残る。傷を負った兵士の回復速度は、そのまま領国の軍事力に直結していた。
かつて朝廷の権威を示すために選ばれた湯は、血を流す兵を蘇らせるための野戦病院としての機能を担うようになった。湧き出る湯の温度や泉質を見極め、効能に応じて兵を振り分ける采配も行われた。中世の終わりにかけて、温泉は支配者たちの私的な医療資源として確実に囲い込まれていった。
医師たちが効能を説きはじめて庶民の湯治が定着した仕組み
江戸時代に入ると、限られた身分のものだけのものであった温泉は、厳しい移動制限の網をくぐり抜けて一般の農民や町民の手に開かれていく。諸国を移動する関所の通行手形にも「湯治」を理由とする文面が認められるようになり、湯へ向かう旅は庶民にとって公認の外出となった。
その背景には、医学の視点から湯の効用を説いた医師たちの存在があった。香川修徳が1738年に『一本堂薬選続編』を著したように、当時の医学者たちは独自の温泉論を展開した。高価な薬に頼るのではなく、身近な湯で体を養うことを奨励したのである。後藤艮山のように、気の滞りを解消する手段として温泉入浴を処方に組み込む医師も現れた。
これにより、人々は「七日間を一巡り」とし、少なくとも三巡する二十一日間を滞在の基準とする「湯治の作法」を共有するようになった。初日は湯あたりを避けるために短時間で切り上げ、中盤から回数を増やし、最後に湯疲れを抜くといった具体的な入浴手順が指南書によって広まった。
新潟県の豪農が残した『竹山日記』などの記録を見ると、農閑期を選んで舟を仕立て、数週間をかけて湯治場へ向かった人々の具体的な動線が浮かび上がってくる。人々は自ら米や味噌、鍋釜を担いで木賃宿に籠もり、淡々と湯に浸かる日々を重ねることで、過酷な農作業で疲弊した肉体を立て直していった。湯治は贅沢ではなく、翌年の労働力を維持するための生活技術であった。
貴族の行幸地だった西日本と街道の近さで賑わった東海の湯の対比
古代の文献に登場する温泉が道後や有馬、玉造といった西日本に偏っていたのに対し、近世以降の中心地は東海道をはじめとする交通路の充実にともなって東日本へと広がっていった。古代の道後や有馬は、都から海路や陸路を数日かけて進む隔絶された聖地であり、身分の高い者が長逗留する場所であった。
都の貴族たちが歌枕として詩歌に詠んだ雅な湯の姿は、江戸時代後期になると様相を変える。五街道が整備され、江戸の町が巨大な消費地へと成長すると、街道の足元に位置した温泉地が爆発的な賑わいを見せるようになった。
東海道の足元に位置した箱根の湯本などは、お伊勢参りや富士講に向かう旅人たちが道中で気軽に立ち寄る「一夜湯治」の目的地として活況を呈した。箱根七湯と呼ばれた山内の湯場群は、急峻な峠越えの手前で疲れを落とす宿場町としても機能した。
西日本の古湯が長期滞在による本格的な治療の場としての歴史を守り続けた一方で、東海道の湯は街道の往来が生み出す短い滞在を受け入れることで、独自の賑わいの構造を作り上げていった。距離の近さと交通網の発達が、温泉の使われ方を根本から塗り替えた。
湯治場から短い滞在の旅へと移行した先の現在に残る湯の佇まい
長期間の自炊と反復入浴によって体を整えたかつての湯治文化は、明治以降の鉄道網の敷設と西洋医学の普及によって急速にその姿を縮小させた。治療の主役が病院の投薬や手術に移るにつれて、温泉は医療の場から余暇の場へと性格を変えた。
和歌山県の白浜温泉にある「崎の湯」の石造りの湯船に身を沈めると、目の前には万葉の昔から変わることなく太平洋の荒波が打ち寄せている。飛鳥の皇族たちが見つめたであろう岩肌と波飛沫の景観は、そのままの輪郭をとどめている。
しかし、そこに集う人々の滞在時間は、数週間の逗留から一泊二日の観光へと大きく書き換わった。自炊用の竈が並んでいた古い湯治宿の多くは姿を消し、効率的な給湯システムと華やかな会席料理を提供する近代的な旅館へと建て替わった。湯船から立ち上る湯気の下で過ごす時間は、かつて人々が病を恐れ、暮らしを休んで向き合った二十日間の重みとは異なるリズムを刻んでいる。
自然の湧き水に向き合ってきた年月が日本の湯の輪郭を形作っている
1400年のあいだ、日本人は湧き出る温水に対して常に異なる意味を重ねてきた。神話の時代には神の恵みとして畏れられ、飛鳥の統治者は政争の合間に心身を鎮めるために使い、戦国大名は兵を癒すために囲い、江戸の庶民は医師の書物を片手に農閑期の体を再生させた。
それぞれの時代の人々が湯船に求めたものは一様ではない。だが、地下のマグマや断層の割れ目が生み出す熱水そのものは、人間の制度や思惑の移り変わりとは無関係に、同じ温度と同じ成分でただ湧き出し続けてきた。
脱衣所に掲げられた温泉分析書の成分量や、源泉井戸を囲む石組みの脇に残された古いノミの跡は、私たちがこの土地の熱と成分に向き合ってきた長い時間の連鎖を示している。かつて舒明天皇が浸かった摂津の山間にも、信玄の将兵が刀傷を沈めた甲斐の谷底にも、今日も変わらず同じ熱さの湯が注がれている。
ゆーたなかお
温泉天国 - Onsen Paradise 運営旅と食と温泉好き。どこにでもいます。
SOURCES
- 『日本書紀』、『万葉集』にも記載される日本三古湯とは!? | ニッポン旅マガジン本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 古代の温泉/ホームメイト本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 日本の温泉の歴史はいつから?古代から現代につながる温泉文化|ニフティ温泉本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 温泉の歴史(中世)※鎌倉時代~安土桃山時代 | 日本温泉協会本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 神奈川県温泉地学研究所 - I−1 温泉の歴史本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 温泉の歴史(近世)※江戸時代 | 日本温泉協会本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 江戸時代の“湯治ブーム”の火つけ役は医者だった!|日本人と温泉にまつわるエトセトラ③ | Discover Japan | ディスカバー・ジャパン本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 第1章 湯治場としての温泉|本の万華鏡 第23回 本から広がる温泉の世界|国立国会図書館本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- [第54話]ご存知ですか? 湯治の作法 - 新潟県立図書館本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 温泉の歴史と文化①〜奈良/平安/鎌倉・室町時代 | Discover Japan | ディスカバー・ジャパン本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 〈一夜湯治〉で花開く「寄り道」だった温泉地──箱根温泉の時代に応じた施策 │72号 温泉の湯悦:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- これまでの湯治とこれからの湯治|湯治ぐらし代表 菅野静@七日一巡り本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 日本三古湯とは!? | ニッポン旅マガジン本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)
- 戦国武将も利用した温泉 ~日本三古湯~/ホームメイト本文執筆時に Google Search で参照(観測 2026-09-10)